三扇ジュエリーには約10年お世話になりましたので、全体像を1つの記事には収め切れません。
前回の記事に続き、三扇ジュエリーでの修行についてもう一回だけお付き合い下さい。

まず、当時のメンバーについて

 

社長
: 元は東京でサラリーマンをしておられましたが、脱サラして故郷の福知山へ戻り三扇ジュエリーを開設。
アイデアマンで、色々な新しいことに挑戦し、宝飾品に使う特殊なフックの特許も取った人です。主に石留めと原型制作担当。

 

やっさん
: 社長の弟さん。やっさんも、元は別の仕事をしていた転職組。主に研磨担当。

 

先輩職人 Kさん、Fさん、Aさん

 

ここに私が加わって、総勢6名で仕事をしておりました。
それとあと1匹、やっさんの愛犬 パグのタローもあのうるさい工房でイビキをかいて寝ておりました。

 

私には11才と9才歳が離れた兄がいるのですが、社長とやっさんが丁度私の兄たちと同い年。
仕事は大変でしたが、聞けば何でも教えてもらえるし、話し好きな優しいご兄弟です。
自分の兄弟と仕事をしているような感覚で日々を過ごしておりました。

 

社長からよく言われたのは、
「とにかく、自分でやってみなあかん!。失敗してもええ。自分でやって失敗したら、こうしたらアカン、こうしたらエエと分る。」
「ワシらもよう失敗したよ。」
「単純な作業になったらアカン! 考えながら仕事をやることが大切!」

 

これは、一つの作業工程が確立できても、もっと良い方法はないか? もっと早くできる方法はないか? もっとキレイに出来る方法はないか? と常に考え、改良し、新しい方法を見つける努力を続けることが大切だという意味だと思います。
受注する品物は様々なデザインのものがあり、夫々に使う道具、磨き方などが異なります。
一定のところに留まっていては、新しい品物が来たときに対応できません。

 

使う工具類も、既製品そのままのもの以外に、独自に改造したものが沢山ありました。

 

指輪などは磨くときに指先で持てるのですが、小さなペンダントや、パーツに分かれた品物など、小さくて指先では十分に保持できないし、研磨の摩擦熱で熱くて持てません。そんな物を磨くときは、ヤットコ、ラジオペンチ、ピンセットなどの先端を削ったり、曲げたり、また別のパーツを溶接したりして改造し、それ専用の治具を作ります。

 

ある日、以前あった治具を使いたいなぁ、と思って探しましたが見つかりません。
結局、社長の手によって別の用途のため形が変えられていたのでした(^_^;
常に改良のため変化する。三扇ジュエリーはそんなところです。

 

そのために、木工用の道具や、小型の旋盤、ボール盤、などの金属加工用の道具もあって、時々社長がディスクグラインダーでジャーっと火花を散らしながら鉄板を削ったりもしていました。

 

それを見て、
「社長。今日は三扇ジュエリーじゃなくて、三扇鉄工所ですね (笑)」
などと冗談も。

 

ここで、道具は自分で作るということを学びました。

 

三扇ジュエリーでの勤務時間は朝9時~夜9時。
朝家を出る前に、サラリーマン時代にはしなかった家のゴミ出しと、洗濯物を干してから車で30分弱。
三扇ジュエリーに到着して朝9時から1時間の昼休みを挟んで夜9時頃まで仕事です。

 

なぜ夜9時かというと、最終受付が夜9時の佐川急便に間に合わせるため。

 

前回お話ししたように、ほとんどの仕事は東京のジュエリー卸販売会社から来ますので、ほぼ毎日仕上がった商品をそこ宛に佐川急便で発送するのです。
とことん仕上がりにこだわりますので、時間ギリギリまで仕上げ作業が続きます。
夜9時直前になると、手のすいた誰か一人が車に乗ってエンジンをかけて待機。仕上げが終わると洗浄、検品、梱包をして車に乗せ、時間にして5分弱の佐川急便に向け走る。

 

毎日がこれの繰り返し。設定された納期に間に合わせるため、時間との戦いです。

 

仕上げに手間取り、9時を回りそうになると佐川急便に電話して
「あと10分で出発できるのでそれまで待って!!」
とお願いをすることもしばしば。佐川急便さんにはご迷惑をお掛けしていました。

 

佐川急便に荷物を持って行くと、夜9時過ぎにもかかわらず女性社員も含めて多くの方がまだ仕事をしており、こうして物流を陰で支えて下さる方々のおかげで、京都府の片田舎で東京の会社相手の仕事が成り立っているのだと改めて思います。

 

荷物の出荷が終わり、やれやれと1日の仕事が終わるのですが、仕事が立て込んでいる時はそのまま残って更に仕事ということも。

 

そんな調子で来る日も来る日も磨きの作業を続けていると、はじめはまともに磨けなかった品物もだんだん磨ける様に、そしてキレイに磨ける様に、更に早く磨ける様になっていきました。

 

初めて三扇ジュエリーに行き、社長に宝飾の専門学校に通っていると言ったときに、

「あぁ、学校か。学校なんてお遊びや!」

と言われてしまいました。

学校は、一つの作業工程を学習したら、
「はい、次はこれ。その次はこれ。」
と、繰り返しがありません。

 

一方、三扇ジュエリーの仕事では、10個注文が来れば10回、20個注文が来れば20回、繰り返し繰り返し同じことをやります。
正にこの点が当初通った宝飾の学校とは違うところ。繰り返すことによってこの品物にはリューターのどのポイント(先端工具)を使って、どの粒度の研磨剤を使って、どれ位の回転数で、どれ位の力加減で、リューターをどう動かして磨けば良いかが、頭と体で分ってくる様になるのです。

 

当初は石留めまでの粗磨きしかさせてもらえませんでしたが、そのうちに仕上げ磨きもさせてもらえる様になり、更に一番規格の厳しい有名ブランド向けの商品も仕上げでOKをもらえる様になっていったのです。

 

磨き以外にも、レーザー溶接機(レーザーのパルスを照射することによりプラチナなどの金属を溶かして溶接や修理などが出来る素晴らしい装置)を使っての修理、組み立て、宝石を留める石座など貴金属のパーツ作り、糸ノコでの透かし彫り、ワックスモデルの制作そして石留めなどなど様々な作業をこなしながら技量(スキル)を高めて行きました。

 

手がけた中には、商習慣上名前は挙げられませんがテレビCMや雑誌広告などで見る有名ブランドの商品も数多くあり、
”こんな一流商品が作れるのに、三扇ジュエリーはなんで安い工賃で下請け?”
と思ったこともありました。
と同時に、自分の仕事としてはこんな納期に追われる薄利多売の下請けの商売形態はやめておこうとも考えていました。

 

1日12時間拘束、週6日勤務で仕事をしても悲しいかなその給料はわずかなもの。
前回書いた発注元からの安い加工賃にみるように職人の置かれた環境、特に経済的な面は大変厳しいもの、まさにワーキングプアの状態。

 

さて、次回からはいよいよ自分の仕事についての試行錯誤の始まりです。

 

次回 ベタニヤクロスの誕生と委託販売 へ続く

代表プロフィール

春日井 利光
春日井 利光
むちゃくちゃ忙しい宝飾店の工房で10年の修行の後、独立。
ある二組のご夫婦との出会いをキッカケに、二人で作るマリッジリング(結婚指輪)のプログラムを始める。 お二人の大切な思い出と共に残る結婚指輪の手作りを全面的にサポートしています。
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